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記紀の道は、宮崎県西都市に語り継がれる日向神話の伝承地をつなぐ、歩いて1時間の散歩道です。
記紀の道の楽しみ方をご紹介します。

映画「みちのみちのり」撮影中!

神話と伝承地

日本最古の歴史書とされる『古事記』『日本書紀』(=記紀)に記された日向神話。神代の昔、天照大神(アマテラスオオミカミ)の孫にあたる瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)が、地上の中つ国を治めようと、日向国の高千穂の峰に降臨しました。ニニギノミコトは、この地に住まわれ、美しい女性コノハナサクヤヒメと出逢います――
西都には、その日向神話ゆかりの伝承地が数多く残されています。「記紀の道」は、それらの伝承地をたどるみちです。
古代から続くおおらかな里の風景が、日常と神話のふたつの世界を包み込みます。

ニニギノミコトとコノハナサクヤヒメが出逢った逢初川。出逢い、出産、子育て。日向神話は現代人も共感できる人間味あふれるドラマです。

神話のものがたり>

コノハナサクヤヒメが火の中で三皇子を産んだ無戸室跡。樹齢400年ともいわれるクスの巨木がそびえます。古代から地域に守られ続けた伝承地が、現代のくらしと静かに併存します。

神話の伝承地>

自然といきもの

記紀の道は、小川や池に寄り添うように進みます。これらの水源は、西都原台地に由来する湧水。生まれたばかりの清流は、多くの生き物をはぐくみます。
春や秋には野花が咲き、冬には渡り鳥が羽を休めます。初夏にはホタルが舞い、秋にはカキやモチノキが実を付けます。 神話のころから変わらない、暮らしのそばにある四季の移ろい。そうした目線で古代に思いを馳せるのも楽しみ方のひとつ。
記紀の道は身近な自然の宝庫です。

一ツ瀬川がつくる河岸段丘地形によって、西都原台地の崖線の縁にいくつもの湧水が存在します。古代から生活や農耕に欠かせない水源でした。

サクラの名はコノハナサクヤヒメが由来とも。西都原では春はサクラとナノハナ、夏はヒマワリ、秋はコスモスが一面に咲き誇り、見事な景色が広がります。

アブラナやノアザミなど、日本古来の在来植物が数多く見られます。古事記にも登場するくらい古代から親しまれてきた植物たちです。身近な野花を知ると、いつもの風景が違って見えてきます。

瑠璃色の羽が美しいカワセミ。小川や池で時折見かけます。越冬するヒドリガモや初夏のホタルなど、多くの生き物が生息します。

土地とくらし

古代から、人は土地に住み、自然のめぐみに感謝をしながら生きてきました。農耕が定着すると、土地とのかかわりは一層強くなります。水を引き、種をまき、時に困難に見舞われながらも、知恵を伝え、たくましく生きてきました。
今の記紀の道の風景は、古代から続くそうしたくらしの営みの、一つひとつの積み重ねでできています。明治の近代化以降、くらしは大きく様変わりしましたが、神話のスケールからするとたった二百年ほどの話です。そして私たちの命はもっと短い八十年。古代から大切にされてきた土地やくらしに出逢うことは、自分の中にもはるか昔から受け継がれている“命のリレー”を想像することかもしれません。

妻、児湯、酒元など、西都の地名には日向神話にゆかりのあるものが数多くあります。また、三宅という地名は、平安の頃にここが日向国の中心地だったことを示します。

都萬神社は千年二百年以上前からこの地を守ってきました。11月19日の例祭のほか、7月7日には、ニニギノミコトへの嫁入りの様子を再現する「七夕更衣祭」がおこなわれます。コノハナサクヤヒメのご神像に装飾を施す大変珍しい神事です。

毎年11月に開催される西都古墳まつりでは、遠く離れた高千穂町と高原町をスタートしたたいまつの明かりが、一週間かけてこの西都の地に到着します。一つになったたいまつは、日没とともに記紀の道を通って西都原へと運ばれます。

記紀の道沿いの田んぼでは古代米を栽培しています。古代米は黒米ともいわれ、隣の田んぼより濃い色をしているのが分かります。収穫した古代米は、古墳祭りで振舞われます。

みちづくり

記紀の道の整備は、ていねいに時間をかけながら、行政と地域の皆さんとが足並みをそろえて、少しずつ、つくってきました。
 お散歩する園児たち、虫取り網を抱えた小学生、休日を楽しむ家族連れ、神話めぐりのハイカー、お話に夢中になるおばあさん・・・少しずつファンを増やしてきました。
いまでは、記紀の道には色んな人が関わっています。
記紀の道には、妻地域で暮らす人々の“愛“がつまっています。

記紀の道の整備計画は15年前にスタートし、今も少しずつ整備が続いています。

逢初ガーデンや花植え活動など、地域の皆さんでみちを彩っています。

毎年11月には「記紀の道歩こう会」が開催されます。十の伝承地では、妻北小学校の4年生による神話の劇が見られます。

アクセス

記紀の道周辺

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