神話と伝承地

神話と伝承地

神話のものがたり

神代の昔、木花咲耶姫(コノハナサクヤヒメ)という美しい娘が、都萬神社のあたりに住んでいました。
高天原から降臨した瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)は、舟で笠狭御碕(カササノミサキ)にたどり着き、豊かなこの地を気に入りました。
ある日、ニニギノ尊は逢初川で水汲みをしていたコノハナサクヤ姫を見初められ、結婚を申し込みました。
ニニギノ尊は逢初川のほとりに広さ八尋にわたる立派な御殿を建て、二人は新婚の一夜を過ごしました。 翌朝ニニギノ尊は、土族の征伐に出かけられました。
征伐から帰ると、コノハナサクヤ姫は臨月を迎えていました。 一夜の契りで子を身ごもったことをニニギノ尊に疑われたコノハナサクヤ姫は、戸の無い産屋を建ててこもり、「天孫の子であるなら無事生まれるでしょう」と中から火を放ち、炎の中で三皇子(ホデリ・ホスセリ・ホオリ)を生みました。
コノハナサクヤ姫は、三皇子の産湯に近くの池の湧き水を使わせました。 池のほとりにはお産の神様(あおしま様)が祀られています。
コノハナサクヤ姫の父であり山の神でもあるオオヤマツミノ命は今の石貫神社の辺りに長い歳月、住まわれていました。 今は大山祇塚に眠っています。
ある日、コノハナサクヤ姫を嫁にと請う鬼が現れました。父神のオオヤマツミノ命は「窟を一夜で造ることができたら認めよう」といいます。鬼は日本でも珍しい形をした美しい古墳を作りました。しかし翌朝、オオヤマツミノ命が見てみると石室の石が一つ抜けています。未完成を理由に結婚は叶いませんでした。
 抜けた石は、実はコノハナサクヤ姫を鬼に嫁がせたくないオオヤマツミノ命が、鬼の寝てる間に抜いたものでした。 石は投げ捨てられ、今の石貫神社の辺りまで飛びました。石貫の地名の由来にもなっています。
ニニギノ尊とコノハナサクヤ姫の御陵と伝えられ、男狭穂塚は日本最大の帆立型古墳、女狭穂塚は九州最大の前方後円墳です。

伝承地

記紀の道沿いの十の伝承地を中心に、周辺エリアの神話の伝承地を紹介します。

01 都萬神社

コノハナサクヤヒメを祭神とする神社。平安時代の延喜式神明帳に記載のある式内社であり、日向国二之宮でもある由緒ある神社。境内には神話になぞらえて日本清酒発祥の地の碑も建てられています。

02 御舟塚

ニニギノミコト一行が海路で到着され、その時の船が鎮まった所。現代では海のない西都ですが、昔は奥深い入り江であったと伝えられています。

03 逢初川

ニニギノミコトが、小川で水汲みをしていたコノハナサクヤヒメに出逢った場所。源流の泉が、木々に守られるように佇んでいます。

04 八尋殿

ニニギノミコトが、コノハナサクヤヒメとの新婚生活のために建てた大きな御殿の跡。一帯は古くは「妻苑」と呼ばれていました。

05 無戸室

コノハナサクヤヒメが、疑いを晴らすために戸の無い産屋に立てこもって火を放ち、炎の中で三皇子を生んだとされる場所。クスノキの巨木が、生命の力強さを感じさせます。

06 児湯の池

コノハナサクヤヒメが三皇子の産湯として使わせた泉。木々に守られるように佇みます。池のほとりにはお産の神様(あおしま様)が祀られています。

07 石貫神社

コノハナサクヤヒメの父であり山の神でもあるオオヤマツミノミコトを祭神とする神社。一の鳥居の脇には石貫の石が祭られています。

石貫階段

西都原台地へ登る169段の石段です。

08 大山祇塚

父神オオヤマツミノミコトの御陵とされています。全長96mの柄鏡式前方後円墳で、西都原古墳群では数少ない名の付いた古墳です。

09 鬼の窟

コノハナサクヤヒメを嫁にと請う悪鬼が父神オオヤマツミノミコトより一夜で石造りの館を所望され、完成させた窟。伝承のとおり、石室の石が一つ抜けています。

10 男狭穂塚・女狭穂塚

ニニギノミコトとコノハナサクヤヒメの御陵と伝えられ、日本最大の帆立型古墳(男狭穂塚)と九州最大の前方後円墳(女狭穂塚)が寄り添うように並びます。あまりに大きすぎて森のように見えます。